2018年4月10日火曜日

「普通という定義」

先日の日曜8日に娘から声がかかってランチを共にした。だんだん自我が芽生えてきた孫はこの日で1歳4か月。あれからもう1年と4か月?などと二日酔いの胃袋をごまかしながらせっせとランチ。

9日に息子がチェコへ旅立つものだから、7日の土曜の夜は息子を誘って飲みに出かけ、鮨屋、バー、3件目がゲイバーとはしご。息子は殆ど飲まないから付き合うことがしんどかったと思うが、ワシはよく飲んだのだ。3件目などいくら支払ったか定かではない。家に帰ってどんぶり飯に納豆をかけて食ったそうだが、そんなこと記憶にもない(笑)

だから、ランチ時の胃袋は、二日酔いというよりも寝る前の大食いのせいだ、という話を聞き一件落着。ランチを誘われたときは一瞬「まいったな」と思ったのだが、孫に会える!という現実を優先。さすが翌日曜は飲まなかった。

で、昨日の夜息子を成田まで送った。就職のためチェコに向かったのだが、別れ間際に「卒業式は6月21日だから。予約しておいた・・・」だと。大学院はイギリスだ。6月21日・・・う~ん、何か大切な仕事と被っている・・・と思い今日会社で確認したら確かに被っている・・・どうするか・・・

自分が走ろうが歩こうが、時間は同じスピードで過ぎてゆく。何を「満足」と捉え何を「不満足」と捉えるのか、どちらに転んでも時間は同じように流れていく。会社の25年も己の67年も、人々と同じ時間の中にあったのだ。何を言いたい?今日主治医のところで注射を打った。何のために?心の健康が欲しいから。気休めのような気もするのだが、安心もする。

そうそう、先日息子が「普通の定義って何?」と強い口調で口走った。なんだろうね。